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zoom RSS こけしの話(13) 島津彦三郎

<<   作成日時 : 2006/10/18 01:00   >>

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 このブログがどれだけ読まれているのかは不明だがと以前書いたが、新規に掲載しようと管理ページを開いたところ、アクセス解析機能がついていることに初めて気がついた。現在のアクセス数2433、その大半が8月以降のものである。縮写こけしがネット上で話題になり、当ブログが紹介された影響のようだ。猪谷春峰という人は戦前には人形制作に活躍していたようだが詳細はいまだ把握していないので情報があればご教示願いたい。とりとめのない話になるので本題へ。



画像
 津軽の木地業は津軽藩の庇護の下古くからの木地師の家系が温湯に9軒、大鰐に7軒あったとされる。津軽に明治期にこけしが存在していたか否か明らかではない。温湯、大鰐の両地に古いこけしがあったとするならどのようなものであったのか、古いこけしで現存するものから推察するなら間宮の旧作が俤を残しているのかもしれない。大正期以降の津軽こけしは、盛秀が創作したとされる温湯こけしと、鳴子の影響の強い大鰐こけしとに大別される。この両者を津軽で一括りにすることには多少の抵抗を感じるが、間宮や村井などの存在を包含するためには致し方ないのであろうか。



  大鰐こけしは島津木工所の影響が色濃く残ったため、彦三郎こけしがその始原的なものとなった。今回は前回に引き続き彦三郎を紹介するが、いずれも彦三郎自身の描彩によるものではない。彦三郎自描のこけしも少数現存するが、筆力弱く存在感の薄いこけしとなっている。辰夫は何人かの工人名義で種々の型を作ったが、その原点は島津木工所の彦三郎にあるようだ。おどろおどろしく創世期のエネルギーに満ちた大鰐のこけしも、辰夫が形式化を進めるとともにそのエネルギーを失ってしまった。



 さて、大正期彦三郎のバリエーションは前回簡単に概観しておいた。今回の彦三郎は鼓楽1024番で辞典右端のものである。潤いのある目と小さく開けた口が物言いたげで一見すると愛らしさがあるようにみえる。ところが、このこけしは、前回彦三郎の豪快さとはまったく逆に、繊細にして目の奥深くに潜む凄みが強烈な印象を与える。



 初めてこのこけしを見たとき、雪女の目に魅入られたような思いがした。傍でその様を見ていた友人が「あのときの無為庵は目が点になっていた」と評したのを思い出す。それほどに惹きこまれたこけしであるが、その時には入手することができなかった。



 以来、津軽といえば彦三郎以外は受け付けない状態になってしまった。しかしまあ、執念とは不思議なものである。ある日行きつけの民芸品店で「こんなものがでてきたんだけど、どんなものでしょうね」と見せられたのが、何と、あの日、無為庵に輿入れできなかったあの雪女ではないか。値段も聞かずに「これいただきます。これこそ私が追い求めていたものですよ」と連れ帰ったものである。



 雪女が無為庵に来てから数年がすぎ、今度は前回の彦三郎が無為庵所蔵となった。味の違いを持ちながら、いずれも津軽のおどろおどろしさを存分に見せてくれる。津軽の魅力はグルーミーなどという評言では弱すぎる。(8寸1分)





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