鯉の話

Koi181092  無為庵閑話もすっかりこけしのブログの様相を呈しているが、こけしの話ばかり書く意図ではなかったので、たまには他の話題を提供する。こけし道楽も随分長くなったが、鯉の方はもう40年を超える楽しみとなった。最初の金魚から数えれば50年になる。なんとまあ、飽きもせず続いたものだ。若い頃は小千谷から山古志村に入り、生簀を覗いて歩いたものだ。鯉師の家でご馳走になった朝食のなんと美味かったことか。最後に小千谷を訪ねてから30年も経ってしまった。地震の打撃から一日も早く復興することを願う。



 最近、時代劇で池のほとりに立つ婦人が鯉に餌を与える場面を見た。泳いでいた鯉は三色、黄金、紅白など錦鯉と呼ばれるものである。江戸時代には未だ錦鯉は存在せず、せいぜい緋鯉程度のものである。画面の見栄えもあるのかもしれないが、時代考証何某などとあるとげんなりさせられる。背鰭の下に金色の筋が入った真鯉から、頭部が金色に光る鯉を作り出すまでの鯉師の苦闘は錦鯉の世界ではよく知られており、黄金と呼ばれる全身金色の鯉ができたのは40年ほど前のことであったと記憶する。無為庵の錦鯉の知識は30年前で途絶えているが、その後も新しい種類がいろいろできたようだ。



 人の趣味は動物、植物、鉱物の順で変遷すると聞いたことがある。動物の飼育は楽しいものではあるが、体力・気力もまた必要なようだ。鯉とて水の管理、池や濾過槽の掃除など体力がないとできるものではない。鯉に熱中している頃は毎朝池の水をなめた。ひところは70本の鯉を飼っていたが、狭い池にこれだけ詰め込むと水の管理には手が抜けない。池の管理を自分ですることが出来ない時期が10年ほどあり、その間に大半の鯉があの世へいってしまった。池の大きさにあった数まで淘汰されてしまったのである。



 2年前に転居せざるを得ないこととなり、転居を機に鯉を止めようかとも思ったが長年飼育した鯉を手放すには忍びなく、転居先に掘池ではなく地面より高い水槽のような池を作った。しゃがみこむ必要がなくなり池の管理が格段に楽になるからである。面積6㎡の構築物が狭い庭を占拠してしまい、家人には不評このうえなかった。 人の引越しを終え、鯉の運搬を行った。僅か3本であったが、水が変わるのは鯉にとっては空気が変わるに等しいことであり、細心の注意を払ったにもかかわらず、また2本があの世へといってしまった。



 前からの生き残りは写真の中心にいる頭に僅かに紅を残す白い鯉である。若き日に新潟からはるばるこれ1本を大事に持ち帰ったのが昨日のことのようだ。あれから三十有余年が過ぎたが、当時は頭部から尾びれにかけて赤い帯が波のように続く見事な稲妻紅白であった。徐々に紅が消えてしまいもう少しで完全に白棒になる。上手に年をとったのかもしれない。もう錦鯉と呼べる代物ではないが、昔の鯉狂いの唯一残った相手であり、初めて買ったこけしとともに思い入れの強い対象となっている。この白棒がひきたつように他は赤地の多い紅白のみを入れている。ゆったり泳ぎ構図の変化を見せてくれる鯉は抽象画を見るような面白さがある。赤の中で白がたくみなアクセントとなってくれる。





この記事へのコメント

この記事へのトラックバック