こけしの話(24) 斉藤松治

あけましておめでとうございます。



 皆様のご健康を祈念申し上げます。



 昨年は喪中で年頭の祝詞を述べられなかったが今年はご挨拶できて嬉しく思う。昨年は法事の席で何回も親族に会うこととなってしまった。健康第一に穏やかに一年をすごせればと願うばかりである。



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 今年の賀状は昨年末のあわただしさで写真の準備が間に合わず、ありあわせの写真を使ってしまった。保存状態の良い昭和15年斉藤松治である。華やかな胴絵と重量感は賀状向きなのだが、表情の強さは年賀には不向きかもしれない。



 このこけしは一昨年末に落札した。写真では注目はしていなかったのだが、展示の実物を見てその迫力に惹かれ入札した。松治は16年以降のものは比較的多く存在し、入札会に登場するものは殆どが16年以降のものである。多いとはいっても僅か数年間の製作で、絶対数は同時期の他の作者と比較すると極端に少ない。かつての入札会では16年以降のものでもかなり高額の落札価となっていたが、最近では控えめになったようだ。





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 表情の写真をお目にかける。かつて「酒にたとえるなら栄治郎が甘口、松治が辛口」と評されたこともあり、蔵王の工人としては重要な位置づけをされていた。惜しむらくは松治の復活が64歳と高齢であったがため筆力が衰えており、最盛期の雰囲気はいかばかりであったかと想像するほかはない。ともあれこのこけしからでも辛口とされた張り詰めた緊張感は伝わってくる。太い眉に眉目の湾曲をつけず小さな眼点で凝視されるとき、見る者の心の底を覗き込まれたような心持になる。



 後年になると胴絵の華やかさは一層顕著となり、花弁の数が増えてくる。表情の辛口が甘口に近づきさらに置物風なこけしへと変化してしまう。おそらくは置物に辛口は似合わないというその時代の要請に無意識に従ったものであろう。これを遡って考えるとき、往時のこけしは飾り気無く大胆に凝視するこけしではなかったかと想像の翼を広げるのみである。(尺)





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