こけしの話(25) 温海

 今日は今冬一番の寒さと思われる。近所の寺に咲く梅も八分咲でほのかに漂う香を味わってきた。寒ければこその風流かもしれない。無為庵の庭の梅はまだ開かない。





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 三寸の紹介も少々飽きたので趣向を変える。左図は阿部常吉、世界358番現物で系譜50図、昭和40年4月こけし研究ノート2図にも掲載されている。同ノートでは常松とされたものが、翌年の系譜では常吉とされているがその根拠ははっきりしない。武井武雄「愛蔵こけし図譜」では昭和4年常吉から取寄せた作品と天江氏から譲り受けた常松とする作品を紹介しているが、それに影響されたようだ。その後の図録等ではこの時期のものはすべて常吉作とし、天江蔵品ですら常吉とされている。現在、常松とされるものは古作図譜掲載の二本と系譜50図左端のもの程度である。







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左図は上図の頭頂部分。常松とされる鼓楽547番の解説では「前髪の元結部分は赤点で、手絡は4本ずつで頭いっぱいに描かれ、頭頂に八手状の中剃が墨で描かれる」としている。左図は手絡が3本であること以外は同解説と一致する。他の常松の頭頂の描彩は詳らかでない。「愛蔵こけし図譜」の画では常松とするほうには元結赤点の代わりに蛇の目が描かれる。





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 後頭部について鼓楽547番の解説では「鬢飾りは後で接するまでに大きく描かれ」とするが、左図ではかなり間が開いている。この背面写真で特徴的なことは巨大な縦長な頭部で、全長21センチ強のうち頭部の長さが7センチある。ちょうど三頭身であるが、鼓楽常松に比してかなり頭でっかちになっている。常松とされる他の二本うち系譜掲載のものだけがほぼ三頭身になっている。常吉の他のこけしでもこのバランスのものを見たことがない。もうひとつの特徴は全体が細長くスリムなことである。頭部の一番幅広いところでも6センチ弱であり、胴上部の幅は4.5センチしかない。裾の幅は5.5センチであるから胴がかなり細くみえる。





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 側面から見ると巨大な鬢に5本の飾りが上下の空間を埋めるように放射状に描かれている。旭菊のような花が筆太にはみだすように描かれその花弁の先端が正面中心の花の下の空間を埋めている。裾絞りを効果的に使った構図で、花が三個しかないのに花邑のような印象を与える。この描法も他に類例をみない。縦に三花を重ねるものは天江手、らっこなどにもあるが平板な胴絵になってしまい、多数の花を描く常松とされるこけしなどの胴絵はうるさいくらいである。また、写真での比較でしかないので確言はできないが、赤の色が黒ずんだような赤でこの染料も他にはないようである。





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 次は顔面のアップ。鬢をほぼ側面に描くことで顔面の幅を広くし、前髪大きく下方まで垂らすことで顔面をほぼ正方形にしている。後から見ると縦長な頭部も正面からはそれほど長く感じない所以であろう。常松とされる三本のこけしは前髪の先端が湾曲しているのに対し、左図では切り揃えたようになっている。天江手も同様に切り揃えた前髪になっているが、これは以後の常吉に継承されている。両目は左右が極端に開き三白眼が上方よりに小さく描かれ、小鼻をつけたような猫鼻と赤点の口がちょんと描かれている。この表情の感覚は後の常吉とは相当の開きがある。



 常松は大正15年に59歳で没し、以後、常吉が木地業を継いだとされるが、常松没年には常吉も20歳ほどで木地経歴もまだ5年ほどにしか過ぎない。常松に習った15歳から18歳の時期には常松と一緒に作ったであろうが、常松没年の前に温海で木地を挽いたか否か定かでない。このこけしはとても20歳ほどの若者が一人で作ったとは思えないような完成度がありかなり手馴れてもいる。作者名はどうであれ、一見したときの愛らしさが見ているうちに不気味な味を醸し出すこけしで名品といって過言ではないと思っている。



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 最後に胴底をお目にかける。久松氏の書き込みと思われる作者名のほかにこけしの形をした焼印がある。この焼印についてご存知の方があればご教示いただければさいわいである。(7寸)



(追記)書いているうちに日付が変わり、梅の香は昨日のこととなってしまった。厳寒の折、どなたさまも御身お大切に。









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