こけしの話(26) 盛秀太郎

 毎日の猛暑にうんざりしている。先日、気晴らしに民芸「おもと」を訪ねたところ、居合わせたお客さんから盛秀のこけしが何故人気があるのか、棟方志功が日本一と絶賛したからかと問われた。変遷著しい盛秀のどの時期のものを指すのか定かでないが、戦後の長い睫毛に代表されるものを想定していると判断し、形態、描画において他のこけしとは異なる際立った特徴があり、個人の創作性が前面に出ているからでしょうと答えた。この答えが正解か否か分からないが、想定したこけしは無為庵の好むところではないので、好きな人に聞いていただくしかない。





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 上記の応答があって無為庵所蔵の盛秀を採りあげようと思い撮影したがどうも上手く撮れない。このこけしは今までに何度も撮影したがいつも失敗ばかりしている。余ほど写真嫌いなこけしのようだ。かつて撮影した比較的写りのよいものが左図である。「美と系譜」112図左端現物。色合い等は「美と系譜」を参照されたい。大正中期作とされ、残る盛秀のなかでは最も古い時期の作例であろう。盛秀は大正5年に勧められてこけしを作り始めたようだが、どのような見本を見ていたのであろうか。創作当初の作例は知られていないが、ねぶた絵の名手であった盛秀が創意工夫したもので、伝承に基づくものではないし、盛秀の創案になるものであることは確実といえよう。発生においては現代の創作こけしとさして変わらない。



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 左図背面で胴絵の構成を見ていただきたい。肩には花弁風の模様を連続させ、胴中央に花の半分?を反対向きに交互にあしらっている。盛秀の最初期のものがどのようなものであったかは分からないが、手描き模様は粗雑といえるほどに簡素に無造作に描いている。時代が下るにつれ様式化され、繊細かつ神経質な線描へと変化する。胴には手描きの曲線がやたらに増え、見た目の華やかさへと変化し、ダルマまで登場させてしまう。



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 こけしの味わいは表情にあり、形態や胴絵などは表情を活かすための道具立てに過ぎない。道具立てが繊細になれば表情も洗練させざるを得なくなる。時代の要請といってしまえばそれまでだが、まてに描かれた盛秀は無為庵の好むところではない。このこけしは盛秀こけしの創世期の創造のエネルギーに満ちた強烈な眼光を持っている。都会人から見るとおどろどろしく陰鬱な津軽の空気であったのか、戦前の収集家からはまったく評価されていない。こけしは工人と購買層との合作であり時代の雰囲気を色濃く反映していればこそ汲めども尽きぬ味わいをもつ。様式化以前の津軽にこそ津軽の味わいを見る無為庵は三寸を別として紹介済みの彦三郎とこの盛秀以外には津軽を所蔵していない。



 それにしても様式の全く異なる温湯と大鰐を津軽と一括りする根源は何なのであろう。風土性などといわれても何かしっくりしない。異様なこのようなこけしが受け入れられた時代の津軽とはどのような気風の地であったのか遠く思いを馳せてみる。(4寸6分)



(追記) 記事を書き始めてからひと月近く経過してしまった。今年のこの暑さよく続くものだ。猛暑厳しき折くれぐれもご自愛なされますように。





この記事へのコメント

無為庵
2011年08月05日 22:38
蝶々さま
コメントをいただきありがとうございます。盛秀は変遷の幅の大きいこけしで、どの時期をよしとするかは好みの問題でしょう。この盛秀にはどこか土の匂いがあって切り捨てられずにいます。強い作意が感じられ、素朴なこけしとも思えませんが、下手(げて)ではあっても決して下手(へた)なこけしとも思いません。小生の好みも時と共に移り変りいずれはこの濃厚な作意に辟易とするときがくるような気もしています。
蝶々
2011年08月05日 22:38
近年の「盛秀系列」(←こう呼んで可いのなら)のこけし達、私の評価もイマイチ…です。特に佐藤善二さん没後から徒に華やかさだけを増幅させている気がします。この盛秀こけしは「素朴と下手は違う」(←故・長谷川辰雄さんの言葉)ということをよく伝えてくれるこけしだと思います。

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