こけしの話(35) 飯坂古作

 最近、裏山の草木を根もとから刈り取った。土肌が露出し、何とも潤いのない風景となった。梅雨に風情のガクアジサイも来年は見られそうにない。夏の間に飯坂の人と縁が生じたので、飯坂古作を採りあげることとした。



画像
 大正期の作品。木地に多少の古色がつき色も落ち着いている。最近では保存状態重視の傾向があまりにも強くなりすぎており、いかがなものかと思う。保存状態の悪いものは古材に過ぎないといった収集家もいたが、状態が良いだけで見所もないような古作を何故に求めるのか理解できない。状態の良いものをというのであれば新作を買えばこと足りる。白木地に浮いたような原色の春二古作を見る機会があったが何ともけばけばしく品のないこけしで辟易とした。色が褪めた古色の春二がもつ土俗性がかけらも見えず、かつてセルロイドと評された所以が納得できたことが僅かな収穫で、あのようなこけしは見たくもない。



 古飯坂に話を戻す。まず、すっきりとした姿で安定している、頭部鬢のあたりから絞り込んだ曲線を肩で受け、肩から畳み付きへ直線がやや裾広がりに重心を移す。土湯の三角胴は重心が下がりすぎやや違和感を覚えるが、このこけしは三角というほどでもない形で形態を意識させない。意識させない程にすっきりしているということは購買層を幅広くターゲットにできることになる。何かの特徴を強く打ち出せばある特定の層には支持されようが、購買層が狭くならざるを得ない。胴絵では、肩の赤の下に余白を残し横広の花弁で空間を区切り、緑で変化をもたせ土で受けたうえで、裾に空間を残す。配置が絶妙で裾の余白が心憎いまでに効果的だ。これ以上描けばうるさいであろうし、花弁が小さければ余白がちで間延びしてしまう。無造作に描いたものであろうが計算しつくしたかのようだ。



画像
 表情をご覧いただきたい。自己主張のない小さい口、衒いのない三角鼻、凄みのきいた眼点。目じりが僅かに離れ、眼点の強さを和らげる。アップで見ると頭頂の赤がうるさいが、全体像では苦にならない。表情の強さもアップゆえでこれも全体像ではさほど強烈な印象にはならないが、平板ではなくなんとなく心に残る。ふと心惹かれ、何を見つめるか探りたくなるような、じっと見るうちに心を覗かれるようで少々恐ろしくなるようなこけしである。赤の印象が残る全体としてじつに纏まったこけしと思うが、無為庵の好みからはややずれている。もうすこし穏やかで隙があってほしいが、そうなると飯坂としてはごくつまらいものになってしまうのかもしれない。



 背面、側面、頭頂の写真も撮影したが、書いているうちに細かい様式等の考察が無意味に思えてきた。研究家ではない無為庵にはこの作者が栄治か喜一か、製作年がいつかとは断定できないが、そのような断定にどれほどの意味があるのであろうか。(6寸8分)





ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック