こけしの話(36) 蔵王古作

 夏に孫が6歳になった。何を思ったかこけしを欲しいという。小さなたちこ10本ほど並べたところ、初めはままごとのように遊んでいた。すぐに飽きてしまい転がして喜んでいたが、そのうちお絵描きを始め、上手にこけしの顔を描いた。帰りに数本を持たせたが結局は何かを叩くときの道具になったようだ。これをしもおもちゃというならおもちゃには違いないが、玩具としてはあまりにも不出来のようだ。古いこけしの内奥に潜む時代の息吹を見るとき、不出来な玩具で片付けるにはかなりの抵抗を覚える。



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 時代の息吹を感じさせる蔵王古作を採りあげる。古作図譜等掲載の鹿間源吉を思い出されるかと思うが別物である。かの鹿間源吉よりも多少古いもののようだ。仮に無為庵源吉とする。



 4段重ね菊、おかっぱ頭、垂れ鼻などは鹿間源吉と同様であるが、頭部は長円形で木地形態やや異なる。万屋の職人であった吉田仁一郎や遠藤幸三の形態に通ずるもので、源吉後年の角頭とは距離がある。もっとも、万屋の常松や勝之助に形態上の共通性は乏しいことを考えると、万屋の形態がこのような形として統一されていたか疑問ではある。



 底には鉛筆で岡崎久作と記されている。鹿間源吉にも底に久作とあるらしい。それを、源吉自身が自分の初期作といったことが、源吉作と断定した根拠になっている。久作の能登屋、源吉の緑屋も考えると、万屋、能登屋、緑屋が混交してしまう。誰の作かはさておき、同様のこけしにいずれも久作とあることは能登屋でこの手のものが売られていたのかもしれない。かつて無為庵は鹿間源吉を入手する筈のところ、事情があって、他のこけしに振り替えた。その頃は源吉として納得していたが、無為庵源吉の表情、形態、描画を見ると、源吉作と断定するには多少の疑問が残る。作者名など枝葉末節ではあるが、断定が鑑賞に影響するとなると問題は別である。前置きが長くなってしまった。



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 表情のアップ。なんとやさしげな潤いのある表情か。この穏やかな眼差しはピーク期といわれる源吉とは感覚が異なり同一人とは思えない。穏やかな眼差しの奥に潜む凝視する視線。にもかかわらずぬくもりと一抹の哀愁を感じさせるこの表情をどう形容すればよいのか。単一の表情しか見せられないこけしはいかに凝視度が強くとも深みがない。後年のピークといわれる角頭、線描き濃密胴絵、潤いのない目の源吉は、華麗にきっちりと描く分かりやすさはあるが、それだけのものにしか過ぎず、無為庵の採るところではない。



「鑑賞」で鹿間氏は鹿間源吉を「今まで見たうちで一番古く・・・表情が一番きつい」と評している。鹿間氏自慢のこけしであったようだ。ところが、古作図譜解説では、N氏「味的にはそれ程でもないし、顔はまだ完成されていない頃のものですね。ピーク前の、目鼻だちのめりはりがないものですし、眼点もきついものではありません」、さらに、M氏「表情に源吉らしい完成されたものは、確かにないですね。鼻なんかが、源吉にしては珍しく曲がっていますし、全体に粗くて、こまやかな表情はないようです」、一転して、N氏「取り柄は、若々しく伸びのある筆と、ややにじんだ、四段の重ね菊で、その後の源吉に、これほど自由に描いた作品はないでしょう」と評している。この見解はそもそも源吉作であるということと、所謂ピーク期とするものが優れた作であるという前提に成り立っている。鑑賞において作者が誰であるかに拘ること自体、鑑賞を阻害するものであるといえよう。N氏は「自由に描いた」として評価を上方修正しており鑑賞の基本を示しているようではあるが、源吉作という前提に変わりはない。鹿間源吉の写真を見る限りでは、無為庵源吉よりもやや表情がきつく硬質で、その分穏やかな受容の眼差しが減衰しているようだが、こまやかな情愛を秘める表情をもつ。無為庵にはこれを未完成という見解が理解できない。



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 さて、鹿間源吉は保存状態に相当の難があり胴絵の詳細が分からない、ぼったりとした菊だが、無為庵源吉よりも菊がやや小さく三角形に近いようだ。これとても僅かな違いでしかない。左図は無為庵源吉の胴裾部分。鹿間源吉も多分このような胴絵かと推察する。これを粗いとみるか、闊達と見るか、源吉の細密線描胴絵よりも遥かに情趣に富むと無為庵は思うがいかがであろう。きっちり隙のない模様は、同じものがいくつも重なるほど硬くなり、レトルト食品のような可もなく不可もない画一的な味になってしまう。万人受けするが、妙味はない。



 いまだこけし収集家なぞ存在しない大正期、温泉客相手に大量に作ったであろうこけしに細密線描など施していられるはずもなく、いかに、早く無駄なく作るかのみが重要事だったとは容易に想像できる。であればこそ、製作者の感性が自然にこけしに化体するようだ。この穏やかでいて相手を凝視しなおかつ受容するような表情をささっと描けたのは、その当時の購買者の需要という時代の要請を反映したものであるとしか思えない。収集家を意識するようになったときから、こけしはまてに製作されるようになり、醍醐味が消失してしまうようだ。



 最後に製作年代を大正期とする根拠について。製作年などは鑑賞上意味のあることではなく、誰某何年作が傑作というような逆転した話になりやすいことは百も承知しているが、こけしの体系的理解のためには分類および系統化が必要なことも事実である。 閑話休題。



 無為庵の不勉強で鹿間源吉以外には同様な作品は存在しないと信じ込んでいた。ところが、あるとき若い友人から「人魚洞文庫データベース」と「国立民族学博物館 標本資料目録データベース」の存在を教えてもらった。いろいろ参考になる資料が載っているのであちこち見ているうちに未知と遭遇した。



 人魚洞は郷土玩具の彩色版画で購入時期、購入場所などが記録されている。山形小芥子這子大小二種の版画には今回と同種の作を描き、大正十?年?月、於京都??求とある。?の箇所はネット上の画像からは読み取れなかったが、大正十年代に京都で購入したとのこと。



 民族博データは各方向からの写真で構成される。かの浅之助が収蔵されていることで有名なところだが、古作はごく一部で大半は戦後のもの。データベースの若い番号に古作が集中するが、なんとなく先頭から最後まで開いているうちに「こけし№326」に保存の極めてよい同様の作品を発見した。頭部は丸み少なく角頭に近くなっており、重ね菊は三角形にやや定型化している。



 鹿間、無為庵、民族博、少なくとも三本が現存し、人魚洞記録のように京都で販売されたとなると、他にも戦火に見舞われずに何処かに眠っているかもしれない。これらが源吉古作であるのなら、その後の10年代の作品がいかに収集家を意識したものであるかを示している。(8寸)



(追記)



 森の旅人様から人魚洞データベースの見方をご教示いただいた。早速確認したところ、「大正十二年三月於京都大丸呉服店山形県物産展求る」との解説があった。森の旅人様に深謝、多謝。





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この記事へのコメント

森の旅人
2011年08月05日 22:38
「人魚洞文庫データーベース」の「山形小芥子這子大小二種」の詳細をクリックすれば読み取れなかった文章が解説してあります。老婆心ながら!
無為庵
2011年08月05日 22:38
森の旅人さま
ご教示いただきありがとうございます。おかげさまでもやもやが解消しました。 無為庵

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