こけしの話(38) 新山栄五郎

 年とともに涙もろくなった。孫の話をするだけで涙が滲む。2年前、4歳だった孫に妹が生まれてから、母を独占できなくなった悲哀と妹に対する愛惜の葛藤のうちに成長する苦しみが我ことのように思える。ただただ健全に成長するよう祈るばかり。すべての幼子にエールを送る。



 健気な孫を思い起こさせるこけし、新山栄五郎を採りあげる。



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 栄五郎の残る作品は数多いが、筆のぼったりした眉目でちょっと老け顔の晩年作が大半だ。点状の鼻と口、細く小さい眉目の作品はそう多くは残っていない。ぼったり筆にも鄙びた風味はあるのだが、何か意図的に思え、無為庵の好むところではない。



 この栄五郎は細筆でちょちょっと眉目を描いており、ぼったり筆よりも作意の度合いが強くて然るべきだが、手馴れた速筆に、あどけなさが滲み出る。作意を感じさせない素直なこけしだが、じっとみていると内心の葛藤に負けない芯の強さを秘める不思議に魅了される。無為庵は髷だの傘だの変形を好まないが、このこけしに限っては違和感を覚えない。頬紅がいじらしい。



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 全身写真では形の特異にまず気付く。首の部分がまったく無く、直角の肩?で、胴の上にいきなり頭部が乗っている。キナキナに似た緩い差込で多少首をかしげもできるが、あたかも首人形のようだ。胴が単なる棒になってしまうところを、中央のくびれで変化をつけ単調になることを防いでいる。



 胴は比較的単調だが、一転して頭部には髷をつけて変化をもたらし、造形にアクセントをつけたようだ。髷つきでも違和感を覚えない所以かもしれない。数多ある栄五郎の中でもこのような造形を他に知らない。「図譜『こけし這子』の世界」21番が近いが、これとても極めて低いながら肩をもつ。



 シンプルな胴に引かれた幅広の濃い赤帯が印象に残る。上下とも二本ずつの赤帯なのだが、滲んで一本の帯のように見える。胴を磨き上げなかった効果で、はっきりとした二本の帯であったなら赤の印象は薄いであろう。胴下部に余白をとり、下端に波状の手描き模様で締める。上部の赤が少々強すぎるような気もするが、全体として穏やかなこけしであるから、これくらいのインパクトを持たせないとしまりが無くなるかもしれない。下端の波が効果的だ。仮に、波でなくなにがしか色の帯または線であったなら、かなり窮屈なこけしとなるだろう。



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 側面からの頭部。耳のような鬢飾りの下にはねあがる三筆の赤。簪の先に揺れる飾りのようで興がある。左右同様に描かれているが、正面からはまったく見えない。見えないところに何故にこだわって描いたのであろう。このような鬢飾りを他に見た記憶はない。真正面から見るばかりでなく、斜め向かいから見たときの効果を考え、空白の寂しさを解消したのであろうか。鑑賞上あまり意味のない細部につい気をとられる癖が抜けない。自戒せなばならない。ともあれ、見えないところまで気配りをした工人の心意気は大事にしたい。(尺)



 





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