こけしの話(42) 佐藤文六

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あけましておめでとうございます


 皆様のご多幸をお祈り申し上げます



 無為庵閑話を始めて以来、年頭のご挨拶も5回目となった。今後どれほど続けられるか心もとないが、160名ほどの方がリピーターとしてご覧いただいているので、とりあえず、来年のご挨拶までを目標としたい。ご感想などいただけると励みにもなるのでよろしくお願い申し上げる。



 今年は寅年だが、寅のつく名前の工人作品を所蔵していない。昨年の丑蔵に因み文六を年賀状に使用した。写真が下手なうえに背景とも合っていないがご容赦ねがいたい。



 この文六は「こけしの世界」425番の現物であるが、「美と系譜」にも採録されているのでピントの合った写真はそちらを参照されたい。



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 文六といえば大方はかの鹿間文六がまず思い浮かぶことと思う。こってりしたロクロ線と上下二段の大ぶりの牡丹の胴に黒頭べろ口のねっとりとした表情がぐっと人目を引くこけしであり、その大きさ故の迫力もあって大名物といわれる。牡丹の文六は極めて数が少ない上、油絵をおもわせるような濃厚な味わいを持つ文六という意味では鹿間文六の右に出るものはないであろう。



 左図文六は、「美と系譜」図版において鹿間文六の右隣に写っているが、松屋での文六展示のときもショーケースの中で奇しくも同様の立ち位置にあった。この展示では他にも数本の文六が並んでいたがどの文六であったか定かに覚えていない。鼓堂旧蔵品もあったと思う。鹿間文六と無為庵蔵との比較で己の鑑識を再確認していた故に他に注意が向けられなかったからであろう。



 その後、直接手に取り、間近で鹿間文六と無為庵蔵を並べて鑑賞する機会に恵まれた。松屋展示のときもそうであったが、やはり、鹿間文六を自己の空間に置いてみたいとは思えなかった。十分すぎるほど迫力はあるものの、かなり作意に満ち満ちており、表情の険が邪魔をしているように思えてならない。あの胴絵では胴ばかりが印象に残ることになりかねない故の強烈無比の表情であろう。これでもかの目立ちたがり屋さんのようで、やはり、ガラス越しに遠くから眺めるこけしであって、手にとって鑑賞するこけしではないようだ。



 無為庵蔵は重菊、手絡など一般的な文六の基本様式であり、落ち着き手馴れている。面相の細部は鹿間文六と酷似しているにもかかわらず、作意が前面に出ず、険のない優しげな表情であり、しかも、十分な力感を持っている。微妙なバランスを調和させ破綻がない。とはいえ、文六の持つ体質か、無為庵の空間の中ではかなりの存在感を示している。S氏は名物と名品の違いと評するが、収集家の選択基準の違いといったほうが正しいと思う。(9寸)





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