こけしの話(7) 阿部金蔵

 骨董の世界では「伝来」ということがしばしば問題にされる。伝来がどうであろうと品物に変わりはないようにも思うが、やはり、筋目よく伝わってきたものには何かしら品格があるように感じられるのは不思議なことではある。こけしの場合はいまだ百年ほどの時間しか経過していないので現時点では伝来というほどのことはないが、50年後、百年後にはどの収集家の手を経てきたのかが大きな付加価値になる時代がくるのかもしれない。将来、収集家としてのあり様と眼力が問われるようになる時代がくるとするなら、現在の収集家は将来の収集家のためにも精進専一にしなければならない。


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 伝来ということではないがこけしにまつわるエピソードのある特定のこけしが存在する。このエピソードが良い話ならいいのだが、悪い話の場合そのこけしのためにも残念なことである。研究のためと称して借りた品物に後からいくばくかの金銭を送って家蔵品として図録に掲載した話や甚だしきは店先から失せてしまった話など趣味人としての矜持のない人物の所蔵品は持ちたいとは思わない。



 今回は数々のエピソードを残した鹿間氏の旧蔵品阿部金蔵をとりあげる。鹿間氏のエピソードでは死線を乗り越えて持ち帰ったあの栄治の話が有名であるが、この金蔵にもエピソードがある。鹿間氏の奥方が死出の病に臥せたとき入院費用のために久松氏に渡ったこけしのうちの一本である(木の花20号参照)。「こけしの鬼」鹿間氏がどのような思いで手放し、「猛蒐家」久松氏がどのような惻隠をもって受け取ったのか、収集家の端くれとして想像に絶するものがある。縁あって無為庵所蔵となったが、このお二方と同じ時代の空気を吸いながらただただ遠く仰ぎ見るだけで一度も謦咳に接する機会に恵まれなかったのが残念である。



 さて、金蔵の残るものは極端に少ない。広史の古いものと混同されていたようだが、広史のこけしには若さゆえか元気さがある。今日金蔵とされるもののうちこの金蔵の持つやるせないけだるさを見せるものはほんの数本であるが、大正期の治助と通じる味がある。文献では「まてな」とか「華麗な」とかの形容が使われるが、金蔵の本当の味はこの切ないやるせなさにこそあり、古色がついたればこそその本質が見えてくるように思う。広史にはついにこの味が出せなかった。生きた時代の差なのかもしれない。(7寸3分)



 画面上で写真を表示してみましたがピントがずれていました。「こけしの世界」47番(雰囲気が実物と少々違っていますが)を参照してください。


(2016年10月25日追記)
上の写真は、当初の掲載の写真データが失われてしまったため、アルバムの写真をスキャンしたものである。顔のアップ写真もあったので今回追加する。なお、拙著「撰」にはSHAKAZ氏撮影による味わい深い写真がある。ぜひ鑑賞されたい。

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