こけしの話(6) 山形不明

 久しぶりに記事を書こうとしたら、すっかり勝手が分からなくなってしまった。ありあわせの写真を使っているが、サイズを小さくすると絵が荒くなってしまい、現物の持つ微妙な陰影が表れてこない。ヤフーのオークションなどはうまく写真を撮ったものが多いがどのように撮影するのか不思議な気がする。ヤフーといえば最近かなり多くの昭和二桁のこけしが出品されたが、二桁の第1次こけしブームの頃になると型に嵌められたようなこけしが多くなってしまい、みずみずしさが失せてしまうのはどうしてであろうか。大正末、昭和初期までの収集家登場以前のこけしには自ずと発生した地域の制約に無意識に従ったなかでの自由闊達な制作が行われていたように思える。


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 今回は自由な制作の代表ともいえる山形のこけしを紹介する。作者は小林清蔵、正末昭初の作ということになっているが、形態、面描からすると別人のもう少し古いものかという気もする。ともあれ作者の詮索などどうでもよいことであり、清蔵の作であろうとなかろうと、このこけしが変わるものでもない。同種の作は「こけし這子の話」に紹介されており、久松コレクション、米浪コレクション、鼓堂コレクションなど古いコレクションに散見されるが残るものは少ないようである。



 現時点でみると赤と緑の重ね菊は蔵王能登屋の専売のような感があるが、遠刈田由来の重ね菊の葉を花の赤と同様に描いたものと思われる。誰がいつどのような経緯でこのような模様に変化させたのかは詳らかでない。岡崎久作のこけしは知られていなし、栄治郎にも重ね菊はないとすると、栄作の創作かとも思えるが、磯谷直行は形こそ違え赤と緑の重ね菊を描いているし、横山政五郎のある種のものは赤と緑の重ね菊といっても差し支えないことからすると、存外古い時代の遠刈田には赤と緑で同じ形を描く重ね菊が存在したのかもしれない。或いは、アイデアとしてこのようなものを考えることは誰でも思いつくことで、相互の影響なしに同形の赤緑重ね菊を考え付いたともいえる。



 写真のこけしは当時の新型、ないしは蔵王のイミテーションとして軽くいなされてしまうが、果たしてそうであろうか?胴絵の稚拙な模様は蔵王のイミテーションとして作ったにしては余りにも稚拙であるし、この手のもので知られている少数の作例はすべておかっぱ頭であることからすると、祖形があったと考えるほうが自然なように思うのは一人無為庵だけであろうか。赤緑の重ね菊についてごちゃごちゃと記したが、この時期までのこけしには現在の系統分類に縛られない自由闊達さがあったことを言いたいだけである。



 もう一度写真のこけしをじっくりと見ていただきたい。このこけしで蔵王のような濃密な重ね菊を描いたらどうなるであろう?頭はおかっぱである。濃密な胴と黒い頭に挟まれた顔の表情はもっと自己主張の強い顔にしないと生きてこないはずである。さらっとした胴絵と飾りのない頭を使っての静かに伏目がちにもの思う表情を出す腕前は相当のものである。それでいながら蔵王でもない遠刈田でもないやはり山形のこけしであるという自然の制約を感じさせる。(5寸)
(2016年10月25日追記)
上の写真は、当初の掲載の写真データが失われてしまったため、アルバムの写真をスキャンしたものである。

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