こけしの話(31) 岡崎斉

 つい最近背中の印が珍しいこけしを入手した。印のゆえに購入したのだが、単なる資料とするには忍びないのでタイトルは変えないこととした。ともあれ、シールの、印の、署名のとこけし鑑賞には全く無意味なものに血道をあげることの愚は心得ている積もりだ。



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  岡崎斉昭和15年作。制作年代を特定できるのは背中のスタンプの日付である。本閑話冒頭の「こけしの話」で採りあげた大正期斉とは別人かと思えるほどに変化している。瞳を大きく端正な容貌で前髪、鬢なども均整のとれた美人になっている。その後また徐々に変化し戦後の作品では頭部の角がとれ瞳も小さくなり大人の女性へと変身している。



 胴には細かい水流れ数箇所あり、左裾はやや大きく流れている。大正期には躍動するような胴絵であったのが菱菊の定型化がすすみ紋様として完成度を高めている。特に土はこじんまりしてしまい自由闊達を失ってしまった。どの時期を採るかは好みの違いだが、無為庵はこの15年頃の完成度よりも初期の躍動感に魅力を覚える。



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スタンプには「第一回現地の集り」とありその下に「2600」、こけし絵の底に「鳴子大会」、こけし絵の下に「7・27」さらに「主催東京こけし会」と書いてある。皇紀2600年即ち昭和15年の7月27日に鳴子での会合の記念こけしのようだ。ある程度纏まった数を注文し、大会前に納品されたと考えるのが素直であり、15年製作と判断した。



 



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 余談だが、スタンプの下には大きな木の皮の跡があり、胴裾に一箇所、後頭部にも一箇所節がある。見えない所であり苦にならないが、今なら傷物として製品化されることはないであろう。



 「辞典」では「背に紀元2600年のスタンプを押したものもある」とされているが、写真のスタンプを指しているのか否かは不明。皇紀2600年は前年から祝賀行事を計画し国中で祝賀ムードが盛り上がっていたようだ。第一次こけしブームと重なりこけしの世界でも色々な行事が催されたらしい。



 さて、こけしの呼称には地方ごとに色々な呼び名があった。共通呼称がないことで不便もあったようで、戦前の全国の趣味家が「こけし」と統一したと何かの文献にあったと記憶するが、どこに書いてあったか思い出せない。この鳴子大会かあるいは別の機会か、最近はすっかり横着になってしまった無為庵には文献を紐解く気力もない。どなたかご存知の方があればご教示いただければとずぼらを決め込む次第である。



 ともあれ緑も比較的よく残り落ち着いた色合いの斉で、細かい水流れさえなければと思わないではないが、新品同様の保存状態よりは味がある。人の凝視に耐えること幾星霜、健全なこけしといえる。(尺)





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