こけしの話(46) 高橋褜吉
6月に白内障の手術をした。一週間の入院で両眼の手術だったが、存外あっけなく終わった。手術中、強烈な光の中に青が見え、赤くなり、オレンジの光などSFのような光を見ていた。術後、眼帯を外したときの明るさは予想以上の驚きだった。いままでどれほど暗い世界を見ていたことか。近眼も従前の3分の1程度になり、物が一回り大きく見える。池の鯉も急に成長したかのようで、何やら得をした気分だ。退院直後に本稿に着手したが、目が落ち着かず、2ヶ月も放置してしまった。
左図は高橋褜吉。無為庵のこけしとの出会いは広瀬重雄作の褜吉型。若い頃、柘植の外には何も無い御蔵島へ重い気分で一週間の出張に赴いたが、これが広瀬氏との、否、こけしとの出会いとなった。毎日、氏の将棋駒製作を眺め、無為庵も彫らせてもらった。硬い木に刃が立たず難渋したが、何とか2枚を彫り、キイホルダーにしてもらった。ある日、駒を始めた経緯を聞いたところ、島の産業振興に柘植を素材に何ができるかを考え、木工製品や木地細工を検討し、最終的に駒製作に至ったと話してくれた。仙台の鈴木昭二氏への弟子入りもその一環で、短期間の修行を経て即席のこけし工人となったとのことだった。思い出話が尽きなくなるので本題へ。
褜吉は直胴と裾絞りが基本であり、輪入りは天江氏の示唆によるものとされる。この天江云々にはいささかの疑問もあるが、別の機会に譲る。直胴は小寸、裾絞りは大寸と大別できるが、個々の形態、胴絵、面相には微妙にばらつきがある。鈴木清の褜吉模倣作ではなく、褜吉真作とされるものの中でのこの相違は一体何によるものか、もう少し追求されてもよい。
本稿褜吉は直胴嵌め込みで首が回る。細工には手間を掛けているが、木地仕上げはかなり粗く、裾白地には写真でも分かるほどの鉋傷を残したままだ。無為庵所蔵のもう一本の褜吉も木地仕上げはかなり雑である。大量に作るためか、年齢の故か、こけしに丁寧な仕上げは不要だったのか、いずれか分からないが、この粗さが手に取ったときのぬくもりとなっている。現代の褜吉型との決定的な相違である。胴上部の赤はやや滲みがあるが、赤というよりピンクに近い。葉も茎も墨で描き、花の赤と二色のみの彩色だが、上下の細い黒轆轤線が全体を引き締め、裾と肩下に余白が効果的に配されている。胴絵は素朴なものであるが、纏まり良く、非凡といえよう。
斜めの写真をお目にかける。色々な角度から何枚も撮影したのだが、やっと使えそうなのがこの2枚しかなかった。この角度のほうが木地の粗さが分かる。
面相は正面から見ると向かって左の眉目は水平に近く、右はやや湾曲する。鬢は長く、向かって左は垂直に、右はやや外向きに描かれる。前髪は位置を間違えたとしか思えないが、苦にならず、これもありと思わせる。目立たない割鼻、二字口で、見る者の視線は自然と目に向かう。伏目がちにやぶにらみの目。左図のように斜めから撮影してもこちらを見ているような眼差し。向かって右目は正面を見る。両目の見ている方向がずれていることと形が違うことで、見る者をして何か落ち着かない心のさざめきを覚えさせる。胸の奥深く、何かを秘めてじっと立ち尽くす意志の強さを覗かせる。慎み深い少女といえよう。かつて、こけしの三少女とし、儀一郎を英国の、太治郎を中国の、褜吉を日本の少女と評した先達があるが、褜吉の評は言いえて妙と思う。(4寸)


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